サイドストーリー

フィリピン格闘技界にウーシューが与えた影響

2020年5月2日

つい最近まで、世界の多くの人々にとってウーシューは馴染みのない格闘技だった。

だがウーシューの流れを汲む格闘家たちが総合格闘技のメインステージに登場したことにより、ウーシューの素晴らしさがようやく広く知られるようになった。

長い歴史と優れたスタイルを持つこの格闘技はいったいどのようなものなのか、どのような特徴があるのだろうか?

ウーシューの起源

「武術(ウーシュー)」はもともと中国語の単語だ。「武(ウー)」は「軍隊」や「武道」を意味し、「術(シュー)」は「技術」「芸術」を意味している。

1949年、中国政府は様々な伝統的中国武術の標準化を始めた。

1950年代後半、国家体育総局は伝統的中国武術の強みを組み合わせた。その結果、生まれたのが現在私たちの知るウーシューだ。

その後、ウーシューは中国のほとんどの学校のカリキュラムに取り入れられるようになり、より生活に根付いたスポーツとなった。

散打と套路

Eduard Folayang VS Amarsanaa Tsogookhuu at ONE MASTERS OF FATE

ウーシューには大きく分けて2つの競技がある。散打(もしくは散手)と套路(とうろ)だ。

バギオ市にあるジム「チームラカイ」の創設者であり、フィリピンで現在活躍するウーシュー格闘家の一人でもあるマーク・サンジャオが、その2つの違いを説明してくれた。

「散手はスパーリングを含むフルコンタクトの競技だ。一方、套路はコンタクトなしの演武で型と技術を競う」

伝統的な散打の試合では、選手たちは8オンスのグローブと防具、マウスガード、ヘッドギアを身につけ、マット上で戦う。キックボクシングやボクシングなどのスタイルを用いた打撃の使用も認められている。

元ONEライト級世界王者であり、東南アジア競技大会で3度金メダルを勝ち取ったエドゥアルド・フォラヤンは、ウーシューの散打が他のストライクベースの競技と一線を画すのは、テイクダウンを認めているところだと言う。

「テイクダウンありのキックボクシングのような感じだ。相手の足を掴んでマットに引きずり下ろしてもいい。でも寝技は認められていないから、テイクダウンを決めれば自動的にポイントになる」と、フォラヤンは話す。

「それが、他のストライク競技とは違うところだ。レスリングの要素が少し含まれるんだ」

一方、套路(とうろ)は動きと型、技術を競うもので、個人またはグループで行われる。散打とは違い、套路の選手は型を演じて見せることでポイントを得る。

現代の套路の競技大会は、主に徒手、短器械(刀や剣)、長器械(槍など)の3つの種目で競われる。

だが、中国の伝統武術が、どのようにして世界的現象とも呼べるスポーツになったのだろうか?



ウーシューが世界に与えた影響

1987年、フィリピン系中国人、フランシス・チャンがフィリピンのウーシュー連盟をマニラのビノンドに設立した。マニラのチャイナタウンと称される地域だ。1988年から連盟の会長を務めてきたジュリアン・カマチョも設立に関わっていた。

ウーシューをフィリピンに広めようというカマチョの積極的な姿勢は実を結んだ。ボクシングとキックボクシングの選手人口が増えすぎていたフィリピンで、ウーシューはアスリートたちに新たな道を開いた。そして、その中から将来また新たな競技、総合格闘技でヒーローとなる者も出てくる。

だが、決定的な瞬間となったのは1990年、中国・北京でのアジア競技大会だろう。4年に1度開催される競技大会にウーシューが採用されたのは、その時が初だった。

「ウーシューのプリンス」の名で知られた学生選手、ユアン・ウェン・チンはすべての伝統的な中国武術を巧みに一体化させ、観客を魅了した。会場の注目を総なめにし、メダルをいくつも勝ち取ったユアンの活躍を見て、他の国々もウーシューを取り入れるようになった。

90年代は、映画スターもウーシューの知名度を上げることに一役買った。ジェット・リーとジャッキー・チェンは2人とも主演するアクション映画でウーシューの技を使った。トップスターとなった2人の影響で、多くのアスリートがウーシューを習い始めた。

フィリピンは中国以外で最もウーシューが盛んな国の1つとなった。最高のタイミングでフィリピンに広まったのだ。

ONEの有名なウーシュー格闘家たち

Rene Catalan

フィリピンでウーシューが広まったことには、フィリピンが関わることのできる国際的な競技大会を1つ増やし、今日ONEチャンピオンシップで活躍する総合格闘技スターの多くに未来への扉を開いた。

サンジャオは今は試合に出場していないが、総合格闘技界にウーシューを持ち込んだパイオニアの1人であり、ウーシューのバックグラウンドを持つONE世界チャンピオンを5人生み出した。

その中には、フォラヤン、ケビン・ベリンゴンジェヘ・ユスターキオホノリオ・バナリオ、そして現在ONEストロー級世界王者であるジョシュア・パシオも含まれる。

また、固い決意を持ちイロイロ市から出てきたレネ・カタランは、フィリピン最強のウーシュー格闘家の1人となった。

カタランのウーシューへの情熱は偶然もたらされたものかもしれないが、それでも彼はこの競技への感謝を語る。

「自分が一番フォーカスしているのはウーシューだ。昔はいつも打撃をくらってばかりいた。コーチのトレーニングはとてもハードだったよ」

「毎日、必死でトレーニングをした。家族のために耐え抜いたんだ。最終的には努力が報われた。ウーシューのおかげで、スポーツでフィリピン代表になるという夢を叶える機会が得られた。マンスエト“オニョク”ベラスコ(1996年夏季オリンピックで銀メダルを獲得したフィリピン人ボクサー)のようになりたかったんだ」

ウーシューとの出会いによって、カタランはONEストロー級トップアスリートの一人に名を連ねた。

ウーシューの今

ウーシューは今も発展し続けている。2022年、セネガルのダカールで開催されるユースオリンピックでは初めて公式種目に含まれることになった。

ウーシューの世界選手権やアジア競技会、国際競技会などの大会も、世界中にウーシューを広めるきっかけとなっている。

フィリピンではウーシューはすでに最大の格闘技となっている。それは、フィリピンで行われた2019年の東南アジア競技会の結果からも明らかだ。

フォラヤンは、これこそがフィリピンがこれまで以上にウーシューの発展に力を注ぐべき理由だと感じている。

「国が、ウーシューをもっと盛り上げるよう支援する気になってくれるといいと思う」と、彼は語る。

「今、ゆっくりと変化を感じ始めている。国は今、パラロン・パンバンサ(フィリピンのユース全国競技会)の種目にウーシューを加えようとしていると思う。それはとても大きなことだ。草の根でウーシューが広まっていく可能性が見えてくる」

「フィリピンはウーシューで多くのメダルを勝ち取っている。特に最後の東南アジア競技会ではそうだった。散手ではフィリピン代表の8割が金メダルを取っていると思う。4、5人は金メダルだった。かなりの高確率だ」

「ウーシューが認知され始めている今、国がこの競技にもっと興味を示してくれることを願う」

ウーシューは中国発祥の格闘技だ。だが、今では世界にこれだけ広がっている事実こそが、この先十年間もウーシューが発展していくことを証明しているようだ。