キックボクシング

不法移民から王者へ、ペトロシアンのこれまで

2020年3月21日

ジョルジオ・ペトロシアン(イタリア)は、イタリアの路上でのホームレスの生活から抜け出して、地球上で最も偉大なキックボクサーになるという、驚くべき成功を成し遂げた。

ONEフェザー級キックボクシング世界王者のペトロシアンは、子どもの頃に故郷のアルメニアを逃れ、苦労してイタリアで新たな生活の礎を作り上げた。そして格闘技を通じて、自分や家族が二度と飢えに苦しまない生活を手に入れた。

故郷での生活

ペトロシアンは1985年にアルメニアの首都エレバンで生まれた。両親と3人の兄妹と共に幸せな生活を送っていたことを覚えているという。

子どもの頃は映画の格闘技ヒーローに夢中になり、彼らのようになる日を夢見ていた。

「昔はたくさんの格闘映画を見ていた。そして外で自分でトレーニングしていた」

「走りに行ったり、パンチングバッグを1人で打ったりした。映画で何かを見ると、いつも自分でそれを真似してやってみていた」

だがアルメニアがアゼルバイジャンとの紛争に巻き込まれると、家族の生活は一変する。

「電気も食べ物もなかった。パンを手に入れるために並ばないといけなかった」

「非常に寒かったが、暖房用の燃料を手に入れるにも並ばなければいけなかった。それで父は家族のために決断したんだ。その頃にはアルメニアに住み続けるのは大変だったから、よりよい場所を求めて移動することにしたんだ」

「1991年、父は兄と自分を連れて、アルメニアを逃れた。不法入国者のようにトラックに乗って、長い旅だった。本当に長く辛い旅だった」

安住の地イタリア

Giorgio Petrosyan at his gym in Milan, Italy

ペトロシア一家が出発した時、行き先がどこか特には計画していなかった。ましな生活ができる場所ならどこでもよかったのだ。そして一家はミラノに行きついた。

だが彼らが到着したとき、お金も食べ物もなく、雨風をしのぐ屋根もなかった。市内の鉄道駅に避難所を見付けたが、扁桃炎に苦しんでいたペトロシアンはほとんど休むこともできなかった。

「体温が40°Cあって、体の感覚もほとんどなかったから、自分の体に何か起こるのじゃないかと本当に怖かった」

「空腹で喉が渇いていたが、それでも疲労や空腹さえ感じられないほどだった」

家族は、運試しにトリノに行ってみたが、そこも同様で、当局から支援を受けることはなかった。最終的に一家は小さな町ゴリツィアにたどり着き、ようやく必要な助けを得ることができたのだった。

一家は生活の拠点を見付け、1年半後、アルメニアに残っていた家族を呼び寄せた。彼らもまた、トラックで長く苦しい旅をしなければならなかったが、一旦、到着すると、よりよい将来を期待することができたのだった。

偉人への第一歩

Italian kickboxer Giorgio Petrosyan takes out France's Samy Sana in October 2019

イタリアに定住先を見つける間の困難な時期にも、ペトロシアンは格闘技への情熱を決して失わなかった。小さな町できちんとトレーニングする場所がなくても、父親はペトロシアンを励ました。

「シェルターに滞在している時、パンチやキックができるスペースを設けて自分でトレーニングしていた」

「自分は何もわかっていなかったから、やろうと思ったのは自分だけだった。父には『心配するな、ジムを見つけてやるから。どんな狭い場所にいてもな』と言ってくれた。実際、そんな感じだった」

知人が後に、コーチがいて正式なトレーニングする場所を見付けるのを手伝ってくれた。その人物が、ペトロシアンのリングでの才能を見出したのだった。16歳の時に初めて試合に出て22歳の相手と対戦。足の指を骨折したものの、勝利を挙げることができたのだ。

「その最初の戦いに勝ったことで、前に進む勇気が湧いてきた。つま先の骨折は痛かったけどね」

「その後、救急治療室で治療を受けながら試合のビデオを見た。いつも自分の試合のテープを見て勉強するんだ」

「それでテープを見ていたんだけど、自分の試合を見て満足することは決してないんだ。いつだって自分を向上させたいと考えている。勝てば勝つほど、もっと戦ってうまくなりたくなる。だから試合のテープは前に進む勇気を与えてくれるんだ」

世界の頂点

Giorgio Petrosyan Wins World Grand Prix At ONE CENTURY PART II

ペトロシアンはキャリア最初の数年間は、ムエタイのルールで試合に出て、いくつものベルトを獲得した。唯一の敗北はバンコクでノンタナン・ポー・プラムックと対戦した時だけだった。

だがそのお手本のような記録と驚くべきパフォーマンスにもかかわらず、当時世界で最大のトーナメントだった「K-1 WORLD MAX 2009」で優勝するまで、自分が真の世界クラスの格闘家だとは思っていなかったという。

「初めてK-1 Maxの世界タイトルを獲得したとき、世界チャンピオンの気分はどうかと聞かれ、『そうだね、初めて自分が世界チャンピオンだと言えるようになったよ』と答えたんだ」

「それまでに数えきれないほどベルトを獲得したにもかかわらず、そうな風には感じなかったから」

ペトロシアンの成功はまだまだ続く。翌年には再び、K-1世界タイトルを連覇で獲得。その後数年間でさらに多くのタイトルを獲た一方で、敗北はもう1回だけだった。

そして2018年、ONEがキックボクシングとムエタイからなるONEスーパーシリーズ部門を立ち上げると、ペトロシアンは並みいる強豪を退け、キャリア最大の称号ONEフェザー級世界グランプリで優勝したのだった

今やペトロシアンは、恐るべき102勝2敗2分(2無効試合)という戦歴を築き上げ、さらなる勝利を積み重ねることを目指している。格闘技界の頂点にいるものの、若い頃の厳しい時代の経験が、今でもペトロシアンを前に進める力になっている。そして世界中のファンにとって模範となるような存在でいたいと思っている。

「この種の試練は明らかに、自分をより成熟した人間にしてくれた。特に飢えのおかげで今日の自分がある」と34歳になったペトロシアンは振り返る。

「最も重要なことは謙虚さであり、多くの人は持っていない。自分はこれを誇りに思っている。なぜなら、自分は全てを勝ち取ったが、それでも16歳の小さな男の子だった時の自分がいる。自分がここまで成し遂げるためには、前を見るだけじゃなくて過去を忘れないようにすることが大事だったんだ。決して過去を忘れないことがね」

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