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139キロの肥満児だった、アギラン・ターニのこれまで

2020年4月4日

アギラン・ターニ(マレーシア)は辛い子ども時代を経て、人生を好転させようと必死になり、そして国民的な英雄にまで上り詰めた。

小さい頃に母親に見捨てられ、さらに肥満といじめにも苦しんだ。だが格闘技と出会ってその道を歩き出し、ONEチャンピオンシップでマレーシアの格闘技のパイオニアになったのだった。

次の試合の準備を進めているターニがこれまで、どのようにしてマレーシアの星になったかを紹介する。

荒れた地域

ターニがまだ幼い頃に母親が家を出ていったため、ターニはレストランの経営者として働いていた父親に育てられた。

「子どもの頃に母が逃げ出したので、誰かに聞かれた時はいつも、母はオリンピックに行って二度と戻って来なかったと言うようにしている」

「母の顔を見たこともないし、やり取りもないから、全く気にならなかった」

ターニは8歳の時、クアラルンプールのセントゥールにある小さなアパートに引っ越した。そこは厳しい、犯罪が多発するエリアだったと言う。

「表面的なことで判断された。上流階級か下流か、金持ちか貧乏か、肌の色が濃いか白いかとか、そういうことで」

「自分の出身地は下層の階級なので、すごくいじめられた。良い子ならいじめられることも多いし、自分は良い子だった。学校では怠けていたが、誰にも迷惑を掛けてはいなかった。だからみんなが自分を煩わせるようになった。自分は荒れた地域に住む良い子だった」

いじめと暴行

ターニにとって、学校生活はそれほど楽ではなかった。10代の時に体重は139キロまで増え、クラスメートはその体型からターニをいじめ始めた。

「デブ」や「カンフーパンダ」というあだ名で、いつもターニを辱めようとした。

「太っていて、胸は女性みたいだった」

「男性的な胸じゃなかったから、みんながからかった。左がイチゴミルク、右がチョコレートミルク。こんなふうに学校で口頭でいじめられた。何か言い返すと、自分の胸をつまんで逃げていった」

今は笑っているが、ターニは絶え間ない苦痛にさいなまれていたと認める。

「そういういじめが90%の確率で起こった」

「泣くこともあった。『なぜみんなこんなことを言うんだろう?』って。だって長い間続いたから。いつもからかわれていたんだ」

ある時、ターニは父親を頼り、いじめを打ち明けてアドバイスを求めたが、あまり同情はしてもらえなかった。父親は息子が、自分でなんとかするべきだと思っていた。

「初めて自分がいじめについて父親に文句を言った時、父は言った。『今度同じ話をしたら殴る。だってそれは、お前が自分の問題にどう対応していいかわかっていないということだから。でも本当に手に負えなくなったなら助ける』」

その後ターニは、いじめの話を父親にすることはなかった。その代わり、太りすぎた体重を減らす決意をした。

格闘技に救われて

ターニは香港のアクション俳優ドニー・イェンの「SPL/狼よ静かに死ね」のような映画に夢中になっていたので、格闘技で健康になろうと思った。

だが成功するまでには、しばらく時間がかかった。自衛を学ぶために空手を始めたが、クラスの頻度が少なく、望んだような結果は得られなかった。その後ブラジリアン柔術に惹かれたが、最初に行ったジムは高すぎてトレーニングに通えなかった。だが幸い、16歳の時、総合格闘技ジム「Monarchy MMA」と出会う。

「そこに行ってみて、全てが大きく変わった」

「最初の2つのクラスに参加してみた。そうしたら、すぐに覚えて、やがて自分の中から沸き上がるようなものを感じた。わかるだろうか?そしてその道を進み続け、どんどん良くなり、どんどん良くなった」

ターニは最初の2か月のトレーニングで6キロ減量し、いじめっ子に立ち向かう自信をつけた。彼らもいじめを止めざるを得なくなった。後にターニはジムで働き始め、それ以来ほぼ毎日、総合格闘技をトレーニングできるようになり、体重はどんんどん減った。

18歳になる頃には、アマチュア大会に出場しスキルを試す準備ができた。そして1年もかからず、4つのフィニッシュを含む5連勝を挙げ、「Malaysian Invasion Mixed Martial Arts(MIMMA)」ウェルター級のタイトルを獲得した。それがターニにとって、ONEチャンピオンシップへのチケットになった。

2015年3月の「ONE:AGE OF CHAMPIONS」で、世界最大の格闘技団体ONEでデビューを果たした時、ターニはプロとしてはまだ1勝0敗だった。だがその大きな舞台にも怯むことはなかった。

デビュー戦を第1ラウンドTKO勝ちで飾ったターニは、その後さらに6勝をフィニッシュで挙げ、ベン・アスクレンとのONEウェルター級世界タイトル戦に挑戦する。だがこの壁はあまりに高く、ターニは人生で初めて敗北を喫したのだった。

「感情がまるでジェットコースターのように浮き沈みした」

「アスクレンを見た時、自分はミーハーのようだった。世界最強の選手の一人と戦おうとしていて、自分が信じられなかった」

有名選手に囲まれて

負けはしたものの、ターニの話はマレーシアの人たちに刺激を与え、若者のロールモデルとなった。

マレーシアの政党「マレーシア・インド人会議(MIC)」が、ターニの業績を表彰。ターニはその資金を使って、米国にある世界的に有名なジム「Team Quest」でトレーニングを積んだ。

それ以来、ターニは米国で他の優秀なライバルからスキルを学び、マレーシアに戻って学んだスキルを自分のものにする、ということを続けている。その甲斐あって、ターニは4勝を挙げ、階級の上位に戻ろうとしている。

「自分は今、有名選手と戦う立場にいる。同じ階級のタフな選手たちと戦わなければいけない。だから精神的にも身体的にも万全を期さないといけない」

現在、ターニのスキルとメンタリティは順調だ。ターニは次世代のマレーシアのアスリートの手本となり続けたいと思っている。そして、一生懸命に努力すれば何だったできるのだということを示したいと願っている。

ターニの目標は、再び世界タイトル戦に挑戦することであり、ベルトを獲得することだ。だがそれ以上に、母国の人々に刺激を与え、マレーシアの総合格闘技の振興に尽くしたいと考えている。

「マレーシアのためにも勝ち続けないといけない。そうすれば、より多くの人々がこの国で、格闘技を追求する機会を得られるだろう」

「自分のことを覚えておいてもらいたいと思う。(なぜなら)自分は総合格闘技がマレーシアで成長するのを手伝い、次世代の人たちのために道を開いてきた。マレーシアの人たちが将来、総合格闘技を始めて『そうだ、自分達にもできるんだ』という風にに思ってほしい」

「究極の目標は、できる限りパフォーマンスを続けること。セントゥールで育った小さな少年が、世界最大の舞台ONEチャンピオンシップで戦っているんだ」

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