孤児から成功、アドリアーノ・モラエスのこれまで

Adriano Moraes DC 5191

アドリアーノ・モラエス(ブラジル)は見捨てられた孤児としての不遇から這い上がり、格闘技界の頂点にまで上り詰めるという、驚異的な成功を収めた。

ブラジルのスーパースター、モラエスは悲劇から助け出された後、格闘技の価値観を学びながら正しい道を歩んできた。モラエスはさらに、素晴らしい才能を持ち、強い意志と長年の努力により、ONEフライ級世界チャンピオンに輝いた。

新記録となる3度の防衛に成功したモラエスは今、ONEフライ級世界グランプリの覇者DJことデメトリアス・ジョンソン(米国)を相手に4度目の防衛戦に臨もうとしている。

ONE INFINITY 1」での試合に先立ち、モラエスがこれまでの人生を振り返る。

ブラジルの路上から救われて

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モラエスの人生は、これ以上ないほどの不遇から始まった。生後わずか数日で、ブラジルの首都ブラジリアの路上に放置されたのだ。

幸い、モラエスを見付けた人によって孤児院に預けられ、そこで3歳までを過ごした。そして人生はいい方向に向かった。ある女性が養子として引き取り、モラエスは普通の子どもとして生活するチャンスを手にしたのだ。

「母は自分にとって全て。自分にとっては神様のような存在だ。母のためにできることは何でもしてきたし、これからも母のために全てを捧げる」

母親はモラエスの成長のためのサポートを惜しまなかった。その中にはエネルギーを発散させるための水泳や格闘技も含まれていた。初めに柔道を試し、やがてブラジルの格闘技カポエイラに取り組んだ。

だが定期的にジムに行くだけでは、トラブルを避けることはできず、若き日のモラエスは路上生活者にまでなりかけたこともあった。だが社会の隅で生きていく生活はそう長くは続かなかった。路上でのケンカに負けた後、この生活ではだめだと気づいたのだ。さらに自分を守る術を学びたいと思った。

ブラジリアン柔術紫帯の友人ジルダシオ・フェレイラが自分のジムに来てみないかと誘い、モラエスは偉大な格闘家としての道を歩み始める。

格闘技への献身

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モラエスはブラジリアン柔術のジム「Constrictor Team」で、柔術を習い始めた。

「そのジムのおかげで柔術に目を向けることができた。そのおかげで、もっと責任を持ち、自分を律し、誇りを持てるようになった」

「他の人をもっと大切にできるようになり、教育を受け、人生と心のバランスが取れるようになった」

モラエスは柔術の天性の才能があったわけではない。しかも最初は楽しむこともできなかったという。だがその中でも熱中できるものを見出した。

やがてモラエスは素晴らしい成長を遂げ、昇進してスキルも磨いた。

コーチはモラエスをサポートし、成長の段階に応じて大会へ連れていった。やがてモラエスは世界で最も優れた選手の一人として知られるようになる。2014年には「北米グラップリング協会(NAGA)ノーギ・プロ部門選手権 」で優勝し、翌年には黒帯を獲得した。

「挑戦して挑戦して、挑戦し続けた。柔術を理解するには長い時間がかかった。難しいから。すぐにできる人もいるが、自分にとってはとても大変で、時間を必要だった」

モラエスはこの間、総合格闘技への参戦を視野に、ボクシングとムエタイのトレーニングにも取り組んできた。

そして2011年9月にデビューすると、当たり前のようにサブミッションで勝利を挙げる。さらにその後8試合連続で勝利を挙げ、2013年11月にONEチャンピオンシップに参戦を決めた。

そこから1年もたたず、カンボジア・プノンペンで開かれた「ONE:RISE OF THE KINGDOM」メインイベントで、モラエスはONEフライ級の初代王座を賭けた戦いに挑戦。ジェヘ・ユスターキオ(フィリピン)を第2ラウンドにギロチンチョークで下し、ベルトを手に入れたのだった。

トップとしての苦しみ

世界チャンピオンとしての生活は順調に始まり、モラエスはRiku Shibuyaを下して初防衛に成功する。だが王座から陥落する瞬間は突然やってきた。2015年11月、22勝0敗という無敗の挑戦者カイラット・アクメトフ(カザフスタン)にスプリット判定で破れたのだ。

プロ15戦のうちのたった2度目の敗北だったが、モラエスは自分のキャリアとスキルを次のレベルに引き上げるために、大きな変化が必要だと判断した。

モラエスはより集中できる環境を求め、ブラジルを離れることにした。チームや友人から離れ、家族、とりわけ母を置いて行くのはたやすいことではなかった。だが自分のキャリアを第1に考え、米国に移り住んで総合格闘技ジム「American Top Team」に入門した。そこでモラエスは、格闘家としても人間等しても成長を遂げる。

「フロリダに移る機会があって、いいかなと思った」

「『American Top Team』の一員になるのは楽しかった。誰もが温かく迎えてくれ、自分はその機会をありがたく生かした」

その人生を変えるような転機は、すぐに報われ始めた。モラエスは試合を追うごとに強くなっていくように見えたのだ。まずユージーン・トケーロ(フィリピン)を相手にサブミッション勝ちすると、2016年8月、ティレック・バティロフからギブアップを引き出してONEフライ級の暫定世界王者になった。

1年後、モラエスはようやく、自分を王座から引きずり下ろした男との再戦の機会を得る。アクメトフとの2度目の対戦では、モラエスは試合の全ての面において相手を優り、ユナニマス判定で勝利を挙げた。モラエスはフライ級のベルトを統一し、議論の余地のないONEフライ級世界王者としての地位を取り戻した。

「アクメトフは世界最高のフライ級選手の1人だ。ベルトを取り戻せたときは本当に感動したのを覚えている」

「何度倒れたって、立ち上がって再び戦えることを学んだ。絶対に諦めないというのは、試合のことだけではない。人生の全ての事がそうなんだ」

ONE史上最も成功したフライ級選手

ベルトを取り戻して3か月後の2017年11月。モラエスはダニー・キンガッド(フィリピン)を打ち負かし、初防衛を記録した。だが防衛はそこまでだった。

翌2018年のユスターキオとの再戦で、モラエスは僅差のスプリット判定でベルトを失ったのだ。だがすぐに、モラエスはリベンジを果たす。

「あの時、自分は信じれない気持ちだった。あの再戦で、自分は本当に良い試合ができたと思っていたから」

「ジャッジが手を挙げたときは信じられなかった。でもすぐに再戦のチャンスをもらい、もう1度戦うことになった。そして戦い、自分の仕事をした。5ラウンドに渡り良い戦いをし、ユナニマス判定で勝利した。最高の気分だった。本当にすごかった」

ホームの声援を受けて戦うユスターキオを破り、モラエスはONE史上最初の“3度目の戦い”に決着を付けた。これにより3度目の王座に就き、世界王者対世界王者のジョンソンとの対決を迎えることになった。

31歳のモラエスの活躍は間違いなく、ONEの選手の中では最高クラスだ。だがモラエスの素晴らしいところは、自分の成功を生かして他人を助けようとする、強い意志だ。例えばブラジリアン柔術の社会貢献活動を通じて、モラエスは恵まれない子どもたちに支援している。

「総合格闘技で最も価値あることは、世界のために何ができるかということだ。それを学ぶし、そうやって進んでいく」

「自分が感じること、やること、受け取ること。全てはバランスだ。世界のために、他人のために、そして自分自身のために、より良い人間になれる。素晴らしいことをすることができる。格闘技はそのための助けになる」

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