【8/18大会】ダイエット目的でムエタイを始めたハンセンがONEにたどりつくまで

Celeste Hansen Kalaked Por Muangpetch ONE Friday Fights 6 1920X1280 21

セレステ・ハンセン(オーストラリア)は、誰もが考えるような平凡な人生を送ってきたわけではない。

生まれてからずっと他のアスリートとは違った人生を歩んできた。そうして、世界最大の格闘技団体ONEチャンピオンシップまでたどり着いた。

8月18日(金)の「ONE Friday Fights 29」であるアトム級ムエタイマッチでユー・ヨウ・プイ(香港)と対戦するハンセンは、ONE3連勝目を狙い、この階級で注目すべき選手としての地位を固めたいと意気込んでいる。

タイ・バンコクのルンピニー・スタジアムで行われるこの一戦を前に、現在29歳のハンセンのこれまでを振り返ってみよう。

キャンピングカー暮らし

一般的な人生の物語は故郷から始まるものだが、ハンセンにはその故郷がない。代わりに、家族の仕事の関係で、キャンピングカーで母国のオーストラリア各地を巡りながら育った。

このため、学校教育は旅先で受けることになったという。

ハンセンはこう振り返っている。

「とても変わった子供時代だった。家族はキャンピングカーに住んでいて、家は持っていなかった。オーストラリア中のショーやイベントや音楽フェスで働いていた。とてもおもしろい生活だった」

「家族はいろんなことをやっていた。イチゴやアイスクリーム、チョコレートなどを売っていた。風船の射的やバスケットボールのゲームなど、お祭りのゲームも取り扱っていた」

ハンセンが11歳のとき、教育により真剣に取り組む必要が出てきたため、全寮制の学校に入学した。

大きな環境の変化に最初は強く反発したものの、だんだんとその生活を楽しむようになったという。

「11歳で家族と離れるのは最悪だった。ましてや生活そのものが変わってしまったんだから。家族と離れた日はずっと泣いていた。両親には『10年生(日本の高校1年生に相当)になったらここから出して』とお願いした。けれども結局12年生(同3年生)までいて本当によかった。楽しかった。そして卒業したら家族の元に帰った」

太っているとからかわれて

幼い頃にボクシングに親しんだことはあったが、格闘技に本格的に取り組もうなどとは考えたことがなかったというハンセン。

しかし、21歳になった際に体重についてからかわれ、運動をしようと決意。ボクシングをやろうと考えたが、訪れたジムにはムエタイのクラスしかなかった。

ハンソンはこう話している。

「太っていると言われたから、体重を減らすためにボクシングのジムに通うことにした。でも、そうしたら『今はムエタイしかやっていません』って言われた」

「その何年か前に休暇でタイに行ったことがあって、プーケット島のバングラ・スタジアムで試合を見たことがあった。女子の試合だった。『ああすごい! こんなに盛り上げてくれるなんて』と思った。けれども、自分がやろうなんて思わなかった」

「だからムエタイしかないと言われたときに、やってみることにした。そして1回目のクラスを受けた後は『自分も戦えるかな?』と思った」

ジムのコーチは試合に出るには最低半年のトレーニングが必要だと提案したが、ハンセンはまた転居の予定があったため、待つことができなかった。

代わりに、ムエタイが生まれたタイで集中トレーニングができないかと相談した。そしてコーチから助言を受けて、2016年に同国のサムイ島へと旅立った。そして、そこからは決して後ろを振り返ることはなかった。

ハンセンはこう説明している。

「タイに来て、以来ずっとここにいる。ここに来てから1ヶ月トレーニングをして、そして試合に出た」

「なんでそんなことをしようと思ったのかはわからない。ただ、ずっとそれまで母と父と一緒に働いてきて、それは好きだったけれども、それまでやってきたことは、自分のためというわけではなかった」

「そしてムエタイと出会って、情熱や目標、夢といった目指すべきものを見つけた。それまではそんなことを考えたことはなかった。自分がやりたいことがやっとわかった」

フェアテックス・ジムとの出会い

ムエタイで成功しようという荒削りながら強い意志を持ってタイに移住したことが、ハンセンにとって大きな転機になった。

移住前は目標もなく、大酒を飲み、健康にも気を配らず流されるように生きてきた。しかし、明確な目標を抱いたことが悪い習慣を断つ契機となった。

「将来どうなるかなんてわからなかった。昔は大酒を飲んでいた。自分は何をするにしても、100パーセントの力でやってしまう。だから、酒の飲み方もチャンピオンだった。あまり楽しい生活じゃなかった。それを続けていけば死ぬとわかっていた」

「2018年4月に断酒をした。ムエタイをはじめる2年前だった。最後に飲んだのは5年以上前。昔のように酒を飲むことなんかはしないと誓った」

だが、ハンセンの格闘技人生はずっと順調だったというわけではない。

人間関係がうまくいかないこともあったし、新型コロナウイルスによるパンデミックで計画が狂ったこともあった。そして常に見守ってくれる存在もいなかった。

しかしそうした浮き沈みを得て、フィリップ・ウォンが設立したタイ・パタヤの「フェアテックス・ジム」に所属することになり、ついにホームといえる場所を見つけたという。

「ミスター・ウォンは、本当に今まであったなかで最高の人間。みんなに気を配ってくれる。食事も宿も提供してくれる。何か必要なことがあれば、助けてくれる。権力がある人は、いい人じゃないこともあるけれども、彼は正反対。とても思いやりがある」

「そういう人間との出会いがどれほど大切かということがわかった。昔の自分はとても迷っていた。20キロも重い相手と戦ったこともあった。ひどい扱いを受けて、利用されたこともあった。けれども、彼は自分のことを娘のように扱ってくれる。これまで欠けていたパズルのピースが見つかったようだ」

ルンピニーで試合をした初の女子に

自分に合ったジムに入れたことで、ハンセンはムエタイ界で大きなインパクトを残せると信じられるようになった。

2021年には、ルンピニー・スタジアムで開かれた初の女子選手のみの試合に出場。

さらに、登竜門大会「Road to ONE」タイで勝ち、ONEチャンピオンシップの「ONE Friday Fights」に出場するチャンスを獲得した。

「7年前にタイに来たときは、女子選手にチャンスはなかった。地元のスタジアムで試合をするのがせいぜいだった」

「ルンピニーで戦うなんて考えは、みんなに笑い物にされた。トレーナーにルンピニーで戦いたいなんて言ったら『好きにすれば』と言われた。『そこで戦う初めての女子選手になってやる』と答えた」

「そしてうまくいった。ルンピニー・スタジアムで初めて試合をした女子選手は誰だと思う? そして初めてチャンピオンになったのは?そして『Road to ONE』で優勝したのは、本当に人生の転機になった」

現在ONEで2勝0敗としているハンセンは、このまま快進撃を続けていきたいと思っている。

このため、今週末の「ONE Friday Fights 29」での試合には全力で臨むつもりだ。

「ONEチャンピオンシップには感謝している。ついに、有名になってお金を稼げるようになったし、女性にも平等にチャンスをくれる」

「目標はムエタイのトップ選手になって、できるだけ長くその立場を維持すること」

「今回の試合は、自分の最終的な目標へのステップにすぎない。戦って、勝って、ゴールに近づきたい」

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