Opinion

修斗VSパンクラス特別連載1:総合格闘技界の“ベルリンの壁”

2019年10月3日

「ONE:CENTURY 世紀」夜の部「ONE:CENTURY PART Ⅱ」では、日本を代表する総合格闘技団体の修斗とパンクラスの4階級の両団体王者が激突する。ONEチャンピオンシップとの連係を機に実現した両団体の対抗戦だが、団体間の交流は「禁断」ともされていた時代もあった。10月13日に迫った東京・両国国技館での決戦を前に、日本格闘技界の歴史に詳しいスポーツライターの布施鋼治が、両団体の歴史を特別連載企画で振り返る。

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かつて日本の総合格闘技界には“ベルリンの壁”というべきボーダーラインが存在した。修斗とパンクラスの間にあった隔たりである。知っての通り、ベルリンの壁とはドイツが政治的な事情で東西に分かれていた時代に、東側の市民が自由に西側に行けなくするためにそびえ立っていた壁を指す。同様に修斗とパンクラスは選手が行き来することが許されない時代が長く続いた。理由はひとつ。同じ総合格闘技というカテゴリーに属しながら、相いれないものが多々あったからだ。

修斗の創始者は初代タイガーマスクとして活躍した佐山聡氏だったが、修斗はプロレスとは一線を画し、まだ誰も見たことのない総合格闘技の確立を目指していた。修斗が産声をあげた1984年には、まだ世の中に総合格闘技と呼べる真剣勝負はなかったのだ。

対するパンクラスは新生UWFや藤原組で活躍した船木誠勝や鈴木みのるが中心となって旗揚げされた。93年9月の旗揚げ戦は短時間決着が多く、“秒殺”なる流行語も生み出す。なぜ対立したかといえば、パンクラスは格闘系プロレスの最終形態として段階を踏みつつ総合格闘技の確立を目指したからだろう。最初から階級制を敷いていた修斗に対し、スタート当初のパンクラスは無差別級。試合時間もラウンド制ではなく何分1本勝負というスタイルをとっていた。

いまでこそ格闘技とプロレスは全くの別物として認識されているが、当時はまだ混同されがちだったという社会的背景も見逃せない。ともに人気プロレスラーが音頭をどるという形で設立されたという部分は一致するが、それからの進化プロセスやルールは似て非なるものだったのだ。  

格闘技版ベルリンの壁が存在していた90年代、日本には純総合とプロレスから発生した総合という2種類の総合が存在していた。


布施鋼治(ふせ・こうじ)1963年7月25日生まれ。札幌市出身。スポーツライター。中でも総合格闘技、キックボクシング、レスリングへの造詣が深い。五輪は北京大会以降、連続して現地取材を続けている。ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作の「吉田沙保里 119連勝の方程式」(新潮社)などの著書がある。Number、共同通信で格闘技コラムを執筆。テレビ東京系列の番組「格闘王誕生!ONE Championship」では解説を担当。

 

東京・両国国技館 | 10月13日 (日) 9時(朝の部)/17時(夜の部) | チケット好評発売中!!